2024年7月7日、倉橋島の東端にある「亀ヶ首発射場」へ、草刈りのボランティアと慰霊祭に参加してきました。
戦艦大和をはじめとする艦砲の試射場になっていたという稀有な場所で、日本遺産に指定されています。
しかし、陸路から行くのが難しく、「くれ・ひと・まち情報応援団」でも、船をチャーターしたツアーを以前に企画し、とても多くの方に関心を寄せていただきました。
*以前に行った「亀ヶ首発射場」のレポートは、こちらにリンクあり
現在も「くらはし観光ボランティアガイドの会」が、ずっと草刈りなどの整備や現地の案内をしていますが、人手や活動資金などで、苦心されているそうです。その活動を少しでもお手伝いできたらと思い、「くれ・ひと・まち情報応援団」で有志を募って参加しました。
今回も船会社のバンカーサプライさんのご厚意で船を出していただき、船にのって「亀ヶ首発射場」へ。
到着した桟橋の足場はガタガタなので注意しながら、装備や道具などをみんなで運びます。
4月半ばにも草刈りをしたそうですが、草は勢いよく茂っていました。
草刈りは時には怪我や思わぬハプニングもあるため、事故や怪我がないよう留意しながら、数チームに分かれて、気になる箇所の草を刈りました。
鬱蒼と茂る草の中へ、草刈機をもってジャンジャン切り込む手慣れた姿の頼もしいこと。
そして、刈った草を集めたり、ちょっとした箇所は手で草を抜いたり、みんなが力を合わせて道なき場所で”道”を作って行きました。
作業の合間に、先人は物や道具もなく、もっと厳しい環境で作業にあたって苦労されたのだろうな、と思いを馳せたり。
暑い日ではありましたが、作業中は心地良い風が吹き、気持ちよく清掃作業にあたりました。
慰霊祭の準備が整いました。
この慰霊碑は、試射の実験中に暴発などで亡くなった犠牲者を悼むために建立され、もう15、6年前から「くらはし観光ボランティアガイドの会」が草刈りと慰霊祭を執り行っています。
静かに手を合わせていたら、ぐぐぐぅ〜と足元から体の芯に、力強く湧き上がるような不思議な感覚がありました。先人からパワーをもらったのでしょうか。合掌。
日本遺産に指定されているので、現地には立派な看板がありますが、整備は大変です。まるでジャングルのように草木が生い茂る草刈り前。
「くらはし観光ボランティアガイドの会」の指導のもと、みんなで道を作った草刈り後。すっきりしました。
この道の向こうに、れんが造りの事務所や計測器を設置していたコンクリート製のドームなどがあります。
日本遺産でありながら、呉市から行く手段が殆どない不思議な場所。だからこそ、そのままの姿で残っている本当に手付かずの戦争遺跡です。
今後、この場所は注目を集める未知の可能性がありますが、「日本遺産🟰観光地化」、目先の事業化ではないと思います。先人の偉業を敬い、みんなが平和を考えるためにも、この場所の意味や歴史を学んで欲しいと思います。
後日、倉橋のジュニアボランティアも訪れるとか。
大切な歴史を伝える場所として、子どもたちに良いバトンが繋がりますように。
「くらはし観光ボランティアガイドの会」さんは、倉橋の海の駅で下船。
大きく手を振って、今日という日に感謝です。
呉に向けて船を進めます。
海から見る呉製鉄(旧:日新製鋼)は解体が進んでおり、ちょっと切なくなりますね。煙突から煙が出て、空が夕焼けのように真っ赤になったあの光景。今は灯りも煙も消えました。
あらためて海から見た私もご先祖様も生まれ育った「呉」。
錆びて人がいなくなるという、街の時代の流れ、転換期だとしみじみ思います。
街の衰退や歴史を冷静に見つめ、どう伝えて未来を創るのか。
本日はとても気持ちの良い風が吹き、滅多に行けない場所での草刈りは、心に刻まれる1日になりました。
関係者の皆様、有難うございました!