「第三勇盛丸」チャーター企画・倉橋〜柱島

2022年8月20日、 倉橋から柱島へ航海し、無事に柱島まで船を出す事ができました。前日まで、「第三勇盛丸」岡平 船長と雨や風の心配をしながら、ドキドキのやり取りをしながらの開催です。

柱島は、山口県岩国市。岩国港(新港)から南東へ26キロに位置し、人口:112人世帯数:86世帯(令和4年4月1日)の、お年寄りが多いのんびりした島です。 

柱島へ行くには、岩国港から一日4便の定期船で移動するという、なかなか高いハードルがあるのですが、倉橋から柱島まで約1時間のクルーズで行くことができます。

瀬戸内海には行ったことのない島、行きにくい島、戦争の歴史が残っている場所、いろいろあります。忘れ去られそうになっていたり、知らないままになっている場所に行き、きちんと自分の目で確かめたい。そんな思いを込めての企画です。

そもそも計画当初は柱島に上陸して、「戦艦陸奥英霊の墓」へお参りする予定でしたが、コロナ感染症拡大防止のため、今回は柱島への上陸を断念する、という予定変更があり・・・。
それでも「やっぱり倉橋から船を出して柱島まで行ってみよう!海と船の歴史を肌で感じよう」と気持ちを切り替え、船をチャーターしました。

戦前は近海が日本海軍連合艦隊の停泊地(柱島泊地)になっていました。柱島泊地には当時、陸奥・長門・扶桑・山城・日向・伊勢と多くの戦艦が停泊し、軍と島民の交流もあったそうで、連合艦隊総司令官の山本五十六も柱島に上陸しました。

海の向こうに見えるのが「戦艦陸奥英霊の墓」です。
日本海軍に所属していた戦艦「陸奥」は、1943(昭和18)年68日午後1210分頃、柱島南西沖2キロの地点に停泊していたところ原因不明の爆発が起こり沈没。乗員1,122名が犠牲となりました。
多くの遺体が柱島に流れ着き、陸奥沈没の事実が敵方に知られないよう、秘密裏に荼毘に付されました。
汽笛を鳴らして静かに手を合わせ、船の上から献花をさせて頂きました。

心配していた風も
強くなく、船の揺れもなく快適!そして、雨にも降られず、無事倉橋に戻りました。
昼食はカフェアルファさんで、「倉橋お宝フリット」のランチ。地元で採れた魚やちりめんじゃこ、
トマト、倉橋島のお宝食材をまるごと使ったイタリア式の揚げもの。ちりめんじゃこをパウダーにして生地に加え、衣はカリッとフワッとしています。たっぷりのタルタルソースをつけて、ペロリと完食しました〜。


午後からは「長門の造船歴史館」へ行き、日本遺産「旧呉海軍工廠亀ヶ首発射場」のジオラマ見学を行いました。
このジオラマは、「くらはし観光ボランティアガイドの会」前会長柳井氏が、貴重な資料や測量をもとに、設計図を描いて制作したそうです。

 

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