第22回 呉街あるき〜両城・陸戦隊・川原石コース

2023年9月17日(日)、「第22回 呉街あるき〜両城・陸戦隊・川原石」を開催しました。

今回は、「呉の街あるき 散策絵図(両城・川原石編)ECサイトへのリンクあり」

が完成した記念です♪
これまで街あるきストの竹本さん哲朗さんが調べて気になるスポットがぎっしり詰まっています。

高低差が分かりやすい鳥瞰図と呉駅からの見どころスポットのルートを示したマップを片手に歩いてみました。

初めて「街あるき」に参加する方もいて、ワクワク大人の遠足気分を高めながら出発〜!
急な100階段や200階段、七曲がりなど、これまで何度も歩いていますが、呉らしい風景は、毎回「良いなぁ〜〜」と感慨深いです。

*これまでの両城・川原石のレポートは ↓ 下のリンクからどうぞ。

街あるき、「両城・川原石コース」を堪能!

東洋大学の学生さんと「街あるき」

この独特の地形や建築物が残っている。そして自分達で歩いて回ることができる。
県外や市外から来られる方は、この景色をみてびっくりします。
さらに、竹本さんの説明と特製資料、「呉の街あるき 散策絵図(両城・川原石編)」があれば、深く学んで歩くシチュエーションは完璧です。

見晴らしの良いスポットで呉湾とクレーン、山にぎっしり建てられた風景を堪能。
この日は、南極観測の支援にあたる海上自衛隊の砕氷艦「しらせ」が入港している姿が見られるという、貴重な日でした。

今回はちょっと長めに6.6キロを歩きました。

地元の人でも知ってはいるけれど、なかなか行かない場所。立地的に少し離れていており、「射的場」と呼んでいた「北塩屋公園」をコースに組み込みました。

「ここが陸戦隊基地の正門があった場所です」と説明する竹本さん。

皆さんは、「呉鎮守府最後の陸戦隊」のことをご存じでしょうか?
私も「街あるき」をするようになり、お父様がこの部隊にいたというジャーナリストの佐田尾信作さんから詳しいお話を伺って知った戦争にまつわる悲しい事実です。

「呉鎮守府特別陸戦隊第23大隊」は、呉市川原石の山の中に、1945(昭和20)年6月に結成され、北塩屋の海軍射的場を中心に防空壕を堀り、幕舎をはって約1300人が過ごしました。
戦艦大和の乗組員、「沖縄特攻作戦」で生き残った八杉康夫さんも配属され、わずか2ヶ月で解散した秘匿の部隊です。

敗戦色の濃くなる日々の中、三八銃さえ不足し、本土決戦に備えて「肉迫訓練」、棒地雷、亀甲爆雷―「まさしく自爆テロ」というしかない悲惨な訓練が行われていました。

8月6日に広島に原爆が投下された後は、広島駅の復旧のために広島へ向かいました。

8月15日 玉音放送があり、8月25日に「23大隊」が解散。
しかし、広島市内で二次被爆をしたため、後日体調不良を訴える人が多く出たそうです。

その跡地にできた北塩屋公園は、その歴史を知らなければ、実に何の変哲もないのどかな公園にしか見えません。
しかし、ここにろくな武器も持たず、ほぼ表に出ることなく、数多くの若い命が戦争と原爆に苦しめられた部隊があったことを、少しでも伝えられたらと思います。

公園を後にして山を下り、川原石界隈の路地裏をうろうろ。
「沖縄県民斯く戦ヘリ」で著名な大田中将一家が住んでいた旧靜觀亭、解体されてしまう「円形校舎」の港町小学校や大正湯、木製の電柱、スクラッチタイルと丸窓が残る家など、昭和レトロな街並みを歩いて堪能しました。

ラストスパートは、ちょっと頑張って階段を登り、有崎山(金比羅山公園)へ。
「呉港 大船や 波あたゝかに 鴎浮く」という正岡子規の句碑を見学。

1944(昭和19)年5月に防空機銃砲台「25ミリ連装機銃」3門が配備され、この句碑が砲台の台座になっていたそうです。

今回は、「呉の街あるき 散策絵図(両城・川原石編)」を手にして、竹本さんのスペシャル解説付き。戦後78年を迎え、これまでに知らなかったこと、見たことのない風景に、参加の皆さんも「勉強になった」「住んでいるのに知らないことがいっぱい」と、得心の笑顔でした。

有難うございました!

*街あるきは、毎月第3日曜日に開催予定です。
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